RIBBON 2005 |
「知」と「覚」を結ぶリボン |
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条件 :解答としての設計 |
展示設計も建築の設計も、与えられた条件を解くという使命がある。 ここには思考過程の飛躍があり、その飛躍から学ぶことが、他課題への解答を触発する力になる。これはひとつの例だが、すぐれた設計とは、このように、予想外の仕方で条件を解く方法をみつけてくるもの、のことではないだろうか。 さて、今回の「展示設計」(グラーツでの現代日本美術展:「知覚」展)には、どのような条件が課されていただろう。 筆者は建築家なので、ふだんは使う側からあれこれ注文を出される側である。 (ただし、そうならない幸せな場合もある。それはクライアントが設計主旨を理解し、代々の維持管理者にそれを伝え、建築を愛し続けてくれる場合だ。「愛」はいつも問題を克服する。 今回は、筆者は、いつもと違ってこの、「使う側」に立つ。たまには立場を変えるのもいい。 使う側に立つと、このKUNSTHAUSはどうか。 その主展示室は上下二層である。「上の階」は外形にそった折れ面の高い天井で、「下の階」はフラットだ。上の階の天上にはトップライトと多重リング状の大きな照明器具が点在して、消灯時にも目立つため、来訪者の目は展示作品よりこちらに行ってしまう。 これらの課題に対処するには内部全体に幕を張って包んでしまうのも手だが、それではこの建築の内部空間と形を生かすことにはならない。 |
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閉じているようで、開いてもいるもの :風に流れるリボン/流動する空間 |
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もうひとつの設計条件は、展示作品そのもの、である。 そこで、ここでは作品の「形式」をたよりに領域を分けることを提案した。空間の広がりの大きい上階にはオブジェ作品、平らな天井の下階には平面作品、という区分である。 ここで「オブジェ」の定義は、「三次元の外部形状を持つ」作品であり、「平面」作品の定義は「二次元のフラットなスクリーン上の」作品とした。したがって映像作品も写真も絵画も、平面という同じ形式ということで、下階に展示される。 形式でアートを分けることに特別な意味はないが、そもそも分類自体に決定的な基準などない。ここでは、展示空間というハードウエアの「形式」による区分をするために、作品のハードウエアである「形式」を選んだのだ。 展示は、作家相互の干渉を避けるためにも壁で仕切ることが多い。個展ではなく今回のように複数の作家の作品が並ぶ場合はとくにそうだ。しかし、このサイズの展示室で壁をつくると、せっかくの建築の広がりが失われる。(ここでも「設計者」の意図を尊重したい) かといって、ひとつの空間に作品が並ぶだけだとスーパーマーケットの商品陳列棚のようにもなりかねない (それはそれで面白いかもしれないが)。 さて、こうして、「空間からの条件」と、「作品からの条件」が出揃った。 あるところでは床から立ち上がって作家の領域を示し、あるところでは上空に舞い上がって天蓋となり、また浮遊して動線を示す。 この、「連続する自由曲面体で構成された流動空間」は、筆者が設計した「地下鉄大江戸線飯田橋駅」の「ウエブ フレーム」(東京/2000年)に関連する。 気の赴くままにリボンを操って気に入ったかたちを選んだ、のではない。各作品の周囲では低く降りて領域を明示し、動線部では高く上がって通路を確保し、幅やねじれの制約を満たす、という「要求条件」をクリアしながら、かたちができあがる。(そして、美しく) 「ウエブ フレーム」ではそうした条件が相互にからみあい、ひとの脳の能力を超えたため、プログラムが必要であった。網の目はどんなかたちにも連結できて自由度が高いぶん、条件を解くのが難しい。 グラーツ版は、ひとつづきの連続面で自由度が少ないため、ひとの脳で条件を解くことができる。 壁のように立ち上がり屋根のように渡るリボンがつくる空間は、あるところでは収縮し、ある場所では広がり、分節され、また連続していく。その柔らかな連続流動体の様子は、生物の体のようだ。 生物といえば、KUNSTHAUSの形はゾウリムシのような単細胞生物を思わせる。ゾウリムシの細胞の核をメスで切って開くと、中にたたみ込まれていたDNAの二重螺旋のリボンがはじけて、細胞内いっぱいに広がる(未確認)。 |
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ちいさな街:壁という母体/動く建築 |
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「下の階」は、これとは一転する。 しかし、作家と話していると、作家は壁を求めていることが分かった。日高恵理子はしっかりした壁がほしいという。杉本博司はトンネルのような狭く長い場所が希望だという。これは意外だった。 歴史を遡れば、建築に固定された壁画から生まれた平面アートは、一枚のタブローとなることで建築の拘束から開放され、さらに額縁という枠からも自由になったはず、だった。 建築にとっての最大の条件は土地である。建築家は敷地を選べないし、建築は土地と重力ら逃れられない。(そういえば、アーキグラムの有名なプロジェクトのひとつに、「ウオーキングシティ」がある。歩く都市、動く建築は、土地という建築史上最強の拘束者からの、離脱願望の具体化だ ) 「土地」という圧倒的な縛りのなかで、それに足を絡めとられない飛躍を求めて浮上しようとする建築と、自由な世界で想像力を開いた上で、「壁」という基盤を求めて接地するアート。その一致と相違が面白い。 アーティストの「希望」は建築家にとって、建築の「設計条件」と同じである。 それで、アーティストの希望どおり、壁をつくることにした。
今回、「上の階」、リボンの舞いの中で展示された作品群は、感覚を励起する性格を共通して持っていた。 |
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